パリの屋根はねずみ色。
曇り空が続いた日々がそろりそろりと過ぎ去り、花屋に芍薬が並ぶころには、柔らかな太陽がアドワーズの屋根と石壁に陽だまりを描く。
ひしめくアパルトマンの隙間であっても、我が家のテラスにも決まった時間、決まった場所に、ひだまりが現れる。
いちばんの特等席を上手に見つけるのは、いつも猫たち。
ジャスミンの花咲く暖かな時期には、青空事務所をオープンさせる。
仕事がはかどるような、はかどらないような。
ちょっとだけ一服。
猫らの特等席の一角を暫しお借りして、濃いめのエスプレッソを一杯。
ここは、パリのとある通りの44番地。
バロック時代の画家がこの通りに暮らしていたことから、彼の名前が付けられている。
かのルイ14世は、彼の絵を生涯離さずに大切にしていたそう。
そういえば。
パリで初めて暮らしたアパルトマンは、55番地だった。
オルセー美術館からさほど遠くなく、首相官邸の通りの角を曲がったすぐのところ。
官邸を見守る警官が角に必ず数人もいるという治安の良さと、何よりも見晴らしのよいバルコニーのある屋根裏部屋が気に入って、そこでひとり暮らしをしていた。齢100年以上の螺旋階段は行き交う人々の歩みで、真ん中部分がなだらかにすり減っていたっけ。
ある日、一緒にいた連れが懐かしのその通りに用事があるという。 それならば、パリ生活のスタート地点に久しぶりに訪れようではないか。 近くを通った時には、立ち寄る習慣が実はある。理由は、なんとなく。だけど。 55番地にたどり着く少し手前で「じゃ、またね」とランデヴー先へと、連れが消えていった。 その扉が偶然にも44番地だった。
ひとりでもう少し南に歩くと、そこには懐かしい赤い扉が。
ふと、ある友人のことを思い出す。
ノートルダム寺院の前にある「ゼロ・ポイント」を踏みしめることで、自分の人生の仕切り直しをする習慣を持つ、彼女のことを。
そうか。この赤い扉の前に定期的に立つことで、計らずとも彼女のように、人生の仕切り直しをしているのかも知れないということに、ようやく気付く。
いろんな思いをたずさえ毎日くぐった、あの時と変わらない扉。
思えば、ここからフランス生活の全てが始まったのだった。
いよいよ、両手で数えるには指が足りなくなってきたパリ生活。
フランスから学んだことを、たった一言で表現するとしたら?
ふと我に問う。
それは「一服する」ということかもしれない。
いっぷくとは、
煙草を吸うこと
お茶を飲むこと
総じて、ひと呼吸すること。
良きも悪きも、生粋の日本人であるからこその生真面目気質。
走り出したら止まらず、息をするのも忘れるほどに詰め込んでしまう。
そんな時でも、時間を区切るのが上手なフランス人は、人生のお手本。
カオスな状況から、軽やかにしばし逃避する。
1つ目は、よく彼らが口にするフレーズ。
On verra bien.
なるように任せてみよう。
そのたった一言で、状況の風通しが良くなる。
そうだね。何も急いで決めなくても、と。
2つ目は、お馴染みカフェでの珈琲時間。
立ち飲みでキュッと一杯。
冗談のひとつでも言って笑い飛ばしてまた仕事に戻る。
《世俗の喧騒を忘れるためにお茶を飲む》
有名な一節は、唐時代の文人、陸羽の言葉。
お茶文化よりも珈琲文化の色濃いフランスでは、「お茶」の部分を「珈琲」に置き換え、座右の銘として大切にしている。
ほんの数分でいい。
何も考えずに珈琲をすすり、一服することがもたらす人生の幸福を知ったのは、フランスに暮らしたお陰だと思う。それは座禅や瞑想をするのと、きっと似ている。
朝起きてひと仕事をした後、だいたい午前10:00頃に決まって立ち寄る場所がある。
44番地から目と鼻の先にある街角カフェ。
決まった時間にに足を向けると、この時間帯にやってくるいつもの顔ぶれがそこにある。
駆けつけ一杯の人や常連は、Zinc(ザング)と呼ばれる燻し銀色の亜鉛カウンターの、お気に入りのポジションに陣とり、新聞を読んだり、世間話をしながら珈琲をすする。
愛すべきザングの住人たち。
仏頂面でタルティーヌを珈琲に浸して食べる、1960年代に一世風靡した往年のハスキーヴォイス・シンガー。
息子さんが日本人のガールフレンドにふられた勢いで、彼女の名前を付けたという柴犬と一緒にやってくる獣医のムッシュー。
いつも綺麗なお姉さんを連れていて、お金の話しかしないイタリア語みたいなフランス語を話す、イタリア男とか。
99%の確率で10時にやってくるのは、ムッシュー・ベルナール。
ハンチング帽に、レイバンのサングラス、マフラーを小粋に首から垂らしてトレンチコートの襟を立てて、というのが彼の定番スタイル。
御年85歳の彼は、生まれてこのかた生粋のパリジャンだそうだ。
毎日同じ時間に珈琲を嗜む、そんな彼に素朴な質問をしてみた。
なぜ珈琲を飲むの?
「俺にだって分かりゃしないよ。だって他に飲むものなんてないだろ?だいたい俺は、珈琲なんか好きじゃないんだ。」
唇を尖らせて、いかにもパリジャンらしいひねくれた答え。
彼から珈琲を奪ったら、日課がひとつなくなってしまう。
きっとそうだ。
珈琲はただのカフェにやって来るためのきっかけ。
一服をするための薔薇色の鍵なのだ。
だってそれを証拠に、そんな彼だって珈琲を飲んでいる時は、とても嬉しそうだから。
今度は彼にこう質問してみよう。 La vie est belle? 人生は美しい?
Bien sûr que " OUI ". 答えは「ウィ」に違いない。
Je bois le café pour oublier le bruit du monde. 世俗の喧騒を忘れるために珈琲を飲む。
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