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第29話 ケンタウロスの羅針盤




 旅人たちを異国へと駆り立てるものとは、一体何者なのだろうか。言葉にはできない電撃的な何か。それは突然、予想もしなかった一目惚れのような形で身に降りかかってくるものなのかも知れない。まさに心を射抜かれるようにして。


 射手座の月である12月は、未知の世界への憧れが一層と高まる機運にあると読んだことがある。人々のハートを狙う「射手」の仕業なのだと思うとロマンチック。





 「射手座と旅」をキーワードとした時に思い浮かぶ、忘れがたいエピソードがある。


 もう12年以上も前のこと。モロッコへの渡航を間近に控えていたある日、セレクトショップで手に取った靴下。ミニマルで個性的なデザインと、デコレーションの色鮮やかなコンビネーションに強く惹かれると同時に、タグに書かれていた「モロッコの女性たちによるハンドメイド」という言葉に運命を感じるようにして、迷うことなく買い求めた。

  




 それからずいぶんと月日が流れて、在住10年にも差しかかろうとした数年前のある日。お守りのように大切にし続けていたその靴下を目にしたある人から、思いがけない事実を聞いた。それ、わたしのクリエーションよ。リヤド Dar Kawaを手がけたヴァレリーからの言葉だった。射手座生まれの彼女もまた、人々を異国のロマンへと誘う仕掛け人なのだ。そして、その罠の虜になった自分を10年も経った後に発見するとは、縁というのはいつだって驚きにあふれていて、そしてとびきり素敵だ。










 射手座と旅についての話は続く。










 先月、射手座の月の日。短期間で帰国していたタイミングで叶った、Minakusiのネックレスのオーダー。それが1ヶ月という時を経て、はるばるマラケシュの街まで届いた。選りすぐりのアンティーク・パーツの中からアフガニスタンのショール留めとシルクロードの古い硬貨、インドネシアの不思議な発色の石などで仕立てていただいた、この世にふたつとない特別なアクセサリー。


 この日以来、未知の地 アフガニスタンに想いを馳せている。たとえ遠くからでも彼の地に根付いている文化・芸術にささやかながらに触れたことで、自分の知らない世界との細い細い繋がりを覚える。彼の地では、確かに人々の脈々とした生命が根付き、日々を生きている。そんな当たり前のことに感動し、そしてその事実に強く惹きつけられる。そこにはこことは違う別の時間軸が流れているはずなのだ。








 パーツのひとつひとつが未来の旅先を決めるコンパスになってくれると思い描いているだけでも、心だけはすでに旅することを始めている。









 射手座の月の、また別の日。空の上で。機内誌をパラパラめくっていると、ある写真に目を奪われた。アラビア半島の国 イエメンの風景なのらしい。謎めいた雰囲気、佇まいにのめり込んでフランス語で書かれた記事に取り組んでみると、愛用している香水に使われている香木についての神秘的な内容だった。

 

 東洋と西洋が交わる場所への旅というコンセプトに惹かれて買い求めたこの香水には、自分だけの “mode d’emploi(使用方法)” がある。「異国情緒を欲する夜、少量付けて寝ること。」


 こうして偶然に記事を目にしたことから、思いがけずに香りの故郷への空想旅をすることとなった。今まではミステリアスな香りだったのが、今やまだ見ぬ憧れの地の芳香となった。









 未知の世界へと常に導いてくれるガイドのような存在の友人がいる。











 マラケシュ旧市街の目抜き通り、スマリン通りの奥の奥。アフリカの工芸品を売るマリ人のおじさんの店があるこの路地には、かねてから未知の領域への入り口という個人的なイメージがあった。メインの通りから少し横道に逸れたその細道に、彼女の空間はある。店の名前はkitan。


 kitanというのはアラビア語で紐やロープの意味。マラケシュ的な軽妙なリズム、英語風の綴り。この国の伝統技術はもとより、長らく英国に居を構えていた彼女自身やマラケシュの職人たちとの手仕事のイメージなど、いくつものアイデンティティが詰まった音がする。








 kitanでは、その名の通り、飾り紐などの伝統的な職人技を生かした総手縫いの洋服を作っている。モロッコでは、刺繍、レース細工、飾りボタンなど、服飾技術のヴァリエーションが豊かであるのに反して素材に乏しいのがウィークポイントと言えそうだが、kitanではその弱点を逆に生かしたクリエーションをしている点で一線を画している。旅先で仕入れたテキスタイルを積極的に用いて、モロッコ伝統の服作りをしているのだ。








 2年前のインドのカディ・コットンから始まり、去年はトルコ、ウズベキスタン帰りの彼女の店はイカットの織物でいっぱいになった。かなり遅れをとってしまったものの、やはり射手座の月になってようやく。まだわずかに残っていたイカットの中に心を射止めるものがあり、ワンピースを仕立ててもらった。それも、この布の生まれ故郷の羽織のようなVネックが欲しいなどとわがままを言い、新しい型紙まで起こしてもらって。





 例外的にパターンの考案から付き合ってもらっての願いが叶ったのも、友達のよしみというのはもとより、店のすぐ数軒隣の並びで新たに始めたアトリエのおかげ。店頭に出ている服のサイズが合わなかった場合や、形は好きだけれども別の色柄があったならば、という時の要望に応えるためのサービスを開始したのだ。お抱えヒヤート(خياط)、すなわちテーラーのサリム氏がていねいに採寸の上、マラケシュ旅行の数日間の滞在中にオーダーメイド服を仕立ててくれる。


 後々まで旅の思い出になる注文服。ゆっくりじっくり記憶のクチュリエに相談に乗ってもらうには、朝のオープン時間のころが込み合うことなく落ち着いているだろうか。





 こうして時間のない観光客たちでも気軽にオーダー服を楽しんでもらうお店を実現させている背景には、彼女の素材選びの独創性はもちろんのこと、ちょうど日本の着物のように立体の観念が持ち込まれていないモロッコの伝統着の特性を最大限に活かしていることや、何にも増して職人たちとの強い絆によるもの。


 そしてkitanのコンセプトやスタンスに敬意を抱く販売スタッフやテーラーというチームの存在あってこそ。彼らを惹きつける彼女の人柄や信念そのものこそが、“kitan”という形となってよく表れている。彼女の店づくり、ものづくりへの妥協のない熱意、そしてライフスタイルからは、常に大きな刺激をもらうばかり。


 いつかの誕生日、インド帰りの彼女がディワリをイメージしたキャンドル・パーティーを開いてくれた。その夜に受けた感動は大きなインスピレーションとなって、後に自分たちのクリエーションとして残ることになった。






 イカットのワンピースのオーダーを入れた日の夜、かつてシルクロードと呼ばれた地への切符を衝動的に予約した。服の注文がまるでヴィザ申請であったかのように。一ヶ月後には見知らぬ場所が見知らぬ場所ではなくなるだろう。


 異国に身を置き、その地に等身大で根付こうとする態度と同時に、ここではないどこか、さらに遠い世界を想う気持ち。そんな想いが宿るものに、人の心を未知へと飛ばすような力を感じる。










- Address -

kitan

11 Derb Smara Kandil, Sidi Abdelaziz, Médina

40000 Marrakech

MAROC





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