ある寒い冬の日。
友人のクリストフの家に立ち寄った時のこと。
画家を生業として暮らす彼の家は、まるで100年ほど昔にタイムスリップしたような風情。床材も家財もオブジェも全てがいろんな世界からやって来た古道具で揃えられていて、頭上には美しい梁がいくつも線を描くアパルトマンの最上階の屋根裏部屋。
観葉植物を鬱蒼と茂らせた植物園のようなサロンの真ん中に、大胆にも斜めに配置されたソファ。家具の置き方ひとつとっても彼の底抜けに自由なエスプリが表現されている。
家の中の眼に映る全てを、古き良き時代のもので揃えた環境で暮らすことの喜びを知るもの同士として、話題はいつも骨董談義。
特に素敵なのは彼のキッチン。
とても小さなスペースなのに圧迫感を覚えないのは、窓から見える一面のグレイ色のパリの屋根の見晴らしと、古道具にしか奏でることができない奥行きある空気感からだと思う。
イタリア人が好んで使う直火式パーコレーターでブクブクと濃いめに淹れてくれた珈琲で、凍えた身体と一緒に心もほぐれる。
彼は「今日はジャムを作って過ごすんだ」と、テーブルで出番を待つ林檎と洋梨を指差した。
冷え込む日に「煮込んで過ごす」という知恵。
それは彼のようにジャムだったり、あるいはポトフだったり、スープだったり。
または、身体を芯から温めてくれる柑橘類とスパイスで煮込むホットワイン《Vin chaud(ヴァンショー)》を作るのも悪くないと思う。
Vin chaudは、ノエルの頃から冬の間にかけて楽しむ飲み物として、とてもポピュラー。
移動遊園地の縁日でも必ず見かけるし、スキーに出かければ山小屋の休憩所のメニューには必ずある。
もちろん、冬の間は街角のカフェでも楽しめたりする。
Vin chaudの歴史は古代ローマ時代に遡るそうだ。
もともとは宴の後の消化を促すための食後酒として生まれたらしく、当時の保存技術が豊かではないことが起因して酸化で味が変わりがちなワインに蜂蜜、胡椒、月桂樹の葉、胡桃、棗椰子を漬け込むことにより、それらのスパイスの風味がうまくワインの味を美味しく誤魔化してくれるという効果もあり、重宝されたということだ。当時の古代ローマ人の飛躍・発展により、後にVin chaudの原型となるスパイスワインは瞬く間にヨーロッパ全土に広まったと言われている。
その後、中世時代においては古代ローマ時代のレシピに更なるスパイスのヴァリエーションが加わり、丁子、シナモン、そして砂糖を入れるようになったそうだ。
更にはカルダモンや柑橘類も加わり、現存するレシピの原型として落ち着いたということになる。
中世時代における甘いスパイスワインの流行は、《hypocras (イポクラス)》と呼ばれる薬用酒として人気を誇り、そのまま生き残りを果たし、今もなおフランスでは食前酒として飲み親しまれている。
とはいえ、調べを進めてみるとどうやら中世時代まではワインにスパイスは入れてたようでも、煮込むことはしていなかった模様。
ワインを「煮込む」というアイデアは《glühwein(グリューヴァイン/グリューワイン)》が起源のようで、冬に冷え込むオーストリア、ドイツを始めとする東欧、そしてドイツ圏にほど近いフランスのアルザス地方で発展し、レシピもそれぞれの国で少しずつオリジナリティを持ちつつ流布していったようだ。
ポーランドでは中世時代のレシピのように蜂蜜を入れる傾向があり、極寒地のスカンジナビア諸国では、ワインにウォッカ、ラム、コニャックのようなアルコール度数の強いお酒を加えるレシピが定着したそう。スウェーデンでは《glögg(グロッグ)》という名前のホットワインがそれに当たるようで、アーモンドとドライレーズンをお供に楽しむとのこと。
時代、そしてお国変われば品変わり、レシピも変わる。
ワインと同様に、一緒に食すものとのマリアージュの可能性を模索するのも楽しめる、奥行きのある飲み物だ。
Vin chaud ヴァン・ショー
〈 材料 〉 約4人分
・赤ワイン 1.5リットル
・砂糖 250g
・シナモン 2本
・丁子 5粒
・アニス 2〜4個 *お好みで調整
・カルダモン 2粒
・ネズの実 少々
・ナツメグ 少々 *薄切りにする
・無農薬レモン 1個
・無農薬オレンジ 2個
1. お鍋にワインを全て注ぐ
2. アニスのみ加え、沸騰しないように気を付けながら80度になるまでワインを煮込む
3. レモン、オレンジを輪切りにする
(果肉は取り除き、皮だけを使っても可。)
4. 全てのスパイスと3.の柑橘類をお鍋に加える
5. 弱火で20~25分間、さらに煮込む
6. 火を止めて蓋をして1時間置く
(果物とスパイスの風味がワインに染み込むのを待つ)
7. 果物とスパイスをザルにあげて、ワインだけをお鍋に残す
8. ワインを温め、グラスかマグカップに注ぐ
9. 7.でザルにあげたフルーツやスパイスをデコレーション
10.できあがり
80度以上で煮込むとアルコール分が飛ぶのでアルコールが苦手な人は、あくまで沸騰しないように気を付けながら長めに煮込めば良い。逆にアルコールが好きな人は、くれぐれもグツグツと煮込まないように。
Vin chaudには高くも安くもない、まずまずなテーブルワインで気楽にたっぷりと作って。
オレンジの代わりに柚子や金柑、林檎なんかを入れて試してみても良いと思う。程よく香り立つ程度に生姜や黒胡椒を少し入れれば、途端に大人味に。マダガスカルの野生の黒胡椒《Poivre Sauvage de Madagascar》を使えば間違いなく個性的が引き立つ味になる。
アルザス地方では、白ワインでも作られているそうなので、こちらも近いうちに作ってみようと思う。
自分だけのオリジナルの調合を研究しつつ過ごす冬の夜。
眠る前のひとときに一杯。
身体が芯からポカポカして、いい夢が見られそうな予感。
この前の珈琲のお礼に、今度はクリストフをVin chaudで温めてあげることに決めた。
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