マジョレルブルー(Bleu Majorelle)にまつわる「本当」の「秘密」のお話。
少なくとも姪とふたりの間においては。
「médina al hamra مدينة الحمراء(赤い街 )」と呼ばれる文字どおり、マラケシュの街はピンクのグラデーションで染められている。旧市街の城壁はもちろんのこと、家々も壁という壁も。濃淡の差や異なる色味が作り出す様々なピンクのコンビネーションこそが、マラケシュのかんばせを作り上げているとさえ言えるかも知れない。
そんな赤い街にも、たったひとつの大胆な例外があるということを知らないマラクシはきっといないはず。
イヴ・サンローランとピエール・ベルジェの別荘として知られるマジョレル庭園(Jardin Majorelle حديقة ماجوريل)は、アール・ヌーヴォーの画家 ジャック・マジョレルのアトリエだったのを彼らが買い取ったもの。
庭園内のあずまや、建物の外壁や装飾を彩るのは、ほんの少しだけ紫がかったヴィヴィッドな青。
この場所がエキセントリックな魅力を持つのは、ムーア様式の建築や世界中から集められた植物が演出するエキゾチシズムの力だけではなく、赤の街の中にひっそりと、と同時に強烈な個性を放って存在する唐突で眩惑的な青のせいによると思う。そう、マジョレルブルーと呼ばれる青。
黄鉄鉱の黄色いまだらのあるラピスラズリに似せられたという、青のメインとカナリヤイエローの差し色で色付けられた庭園。植物たちと青が生み出す不調和な調和。太陽が子午線を通過する前、正午までのやわらかい光の中で見るマジョレルブルーが特に気に入っている。
幼少のころに母が読み聞かせてくれた絵本の中でも、とりわけ大好きだったもののひとつに「そらいろのたね」があった。ある日、森のきつねからもらった空色の種を撒くと、ふたばの中から空色の家が生えてくるというお話。毎日水をやると、やがて空色の家はお天道さまの間際まで大きくなった。
マラケシュの突き抜けるような青空の中でひときわ真っ青なマジョレルの家は、原風景として残っているのだろうこのストーリーをつい連想させる。
ある帰国時、少し早いと思いつつ。缶に詰め込まれたマジョレルブルーのペンキを持ち帰り、この絵本を添えて2歳ちょっとの姪に贈った。物ごころがつくかどうかといったころに自分自身が叔父からプレゼントしてもらった60色入りのクーピーペンシル、それとサン=ローランが遺した言葉を意識して。
Les modes passent, le style est éternel
モードはうつろう、だがスタイルは永遠だ
目には見えない何かのかけらを、形のないままで幼い感性に伝えることができれば。ちょっぴり一方的な想いを込めてのおみやげ。
その後マラケシュに戻った頃に、姪が自分の手で色を塗ったという真っ青な植木鉢のスナップ写真が日本から届いた。
ある別の日。 完全に日が沈んで真っ暗になった砂漠のただ中でのこと。ドライバーが方向感覚を失い道なき道をさまよっていると、目の前を白いものが横切った。サン=テグジュペリがサハラに不時着したときに砂漠の真ん中で遭遇したという、かのフェネックだった。この一瞬のできごと、暗闇を横切る白い小動物の印象と、それに遭遇できたという感動から突如あるインスピレーションが舞い降りてきた。
斯くして裏付けられた、偉大なるブルーのレシピ。
フランス保護領時代の1920年代。マジョレルの家は空色の種のふたばの間から、ジョウロの水を浴びて生えてきた。けれども彼の場合はきつねではなく、砂漠地方からはるばる旅してきたフェネックが持ち込んだ種。インディゴ染めのターバンを巻いたトゥワレグたちのキャラバンに混ざり込んで。あるいは彼がこよなく愛したというアトラス山脈の峠のどこかですれ違ったのかも知れない。
あれから、横浜ではマジョレルブルーの鉢からふたばが生え始めてきたとのこと。
- Address -
Boutique Majorelle (Jardin Majorelle)
Rue Yves Saint Laurent
40090 Marrakech
MAROC
- Book -
“人間の土地 Terre des Hommes”
“星の王子さま Le Petit Prince”
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
Antoine de Saint-Exupéry
Le plus important est invisible
大切なものは、目には見えない
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